
- はじめに:物議を醸した「スーさん問題」
- デラルド・ウィン・スーとは何者か?
- なぜ「テキストの外」から出題されたのか?
- 日本の未来:外国人材の増加と「内なる国境」
- 支援現場で起こりうるリスク
- 成長への橋渡し:問いかけられた「覚悟」
- おわりに:さらなる高みへ
はじめに:物議を醸した「スーさん問題」
第38回社会福祉士国家試験を受験された皆様、本当にお疲れ様でした。 長い受験勉強から解放され、安堵している方もいれば、自己採点の結果に一喜一憂している方も多いことでしょう。
さて、今年の試験において、受験者界隈を大きくざわつかせた問題がありました。 そう、テキストにも大学の講義にも登場しない人物、デラルド・ウィン・スー(Sue,D.W.)と、彼の言説の概念を問う問題です。
「聞いたこともない人物が出るなんて!」「これは明らかに『捨て問』だ」「出題者の意地悪ではないか」―ネット上や受験生の間では、戸惑いと憤りの声が多く上がっています。確かに、国家試験という人生を左右する舞台で、見たこともないカタカナ名が出てくれば、動揺するのは当然です。点数を取りに来ている受験生にとって、こうした「不意打ち」は理不尽に映るかもしれません。
しかし、私はこの騒動を少し離れたところから見つめ直し、一つの仮説にたどり着きました。この出題は、単なる意地悪や難易度調整のための奇問ではないのではないか。 むしろ、「これから現場に出る君たちには、絶対にこの視点を持っていてほしい」という、出題者からの強烈なメッセージであり、これからの日本の福祉を担う者への「挑戦状」だったのではないか―。
今回は、この「スーさん問題」を入り口に、これからの社会福祉士に求められる資質と、日本の未来について考察してみたいと思います。
デラルド・ウィン・スーとは何者か?
まず、この「謎の人物」について整理しておきましょう。 デラルド・ウィン・スーは、コロンビア大学の教授であり、多文化カウンセリングや心理学の分野における世界的権威です。彼が提唱し、今回出題の内容にもなった概念が「マイクロアグレッション(Microaggression)」です。
これは日本語で「微細な攻撃」と訳されることが多いですが、その本質はもっと複雑です。 あからさまな差別やヘイトスピーチとは異なり、「悪意のない、無意識の偏見や差別」を指します。
例えば、日本で暮らす外国ルーツの人に対して「日本語がお上手ですね」と褒めること。あるいは、女性に対して「女性ならではの気配りがあって素晴らしい」と言うこと。
言った本人には悪気はなく、むしろ好意や称賛のつもりかもしれません。しかし、言われた側からすれば、「あなたはここでは『外国人(部外者)』である」「女性は気配りをする役割であるべきだ」という、ステレオタイプの押し付けや疎外感を感じさせるメッセージとなり得るのです。
蚊に刺されたような小さな痛み(マイクロ)でも、それが毎日、何度も繰り返されれば、心には大きな傷(アグレッション)が残ります。スーは、この「無意識の暴力」こそが、現代社会における差別の正体であると説きました。
なぜ「テキストの外」から出題されたのか?
多くの受験生が戸惑ったのは、「テキストに載っていない」という点でした。しかし、あえて厳しい言い方をするならば、社会福祉士国家試験は「テキストの暗記コンテスト」ではありません。
社会福祉士及び介護福祉士法には、第47条の2として「資質向上の責務」が明記されています。
社会福祉士…(中略)…は、社会福祉及び介護を取り巻く環境の変化による業務の内容の変化に適応するため、相談援助又は介護等に関する知識及び技能の向上に努めなければならない。
この条文が意味することは明白です。試験に合格することはゴールではなく、スタートラインに過ぎないということ。そして、社会の変化に合わせて、常に新しい知識を自ら学び取っていく姿勢が義務付けられているということです。
出題者は、あえて受験生が知らないであろう「最先端の(あるいは現場で今まさに必要な)概念」をぶつけることで、私たちを試したのではないでしょうか。「テキストにないから知らない」と思考停止するのか、それとも「これは今の社会に必要な視点だ」とキャッチアップしようとするのか。その「専門職としての感度」を問うていたのです。
日本の未来:外国人材の増加と「内なる国境」
では、なぜ今、「スーさん問題」だったのか。 ここには、日本社会が直面している、避けては通れない構造的な変化が背景にあります。
ご存知の通り、日本は未曾有の少子高齢化社会に突入しています。労働人口の減少は深刻で、医療・福祉・介護の現場はもちろん、コンビニエンスストアから建設現場、IT企業に至るまで、外国人材の力なしには社会が回らない時代が到来しています。 政府も「特定技能」の在留資格を拡大するなど、事実上の移民受け入れへと舵を切りました。今後、私たちの隣人として、同僚として、そしてクライエントとして、外国ルーツの人々と接する機会は爆発的に増えていくでしょう。
ここで問題になるのが、物理的な国境が開かれても、私たちの心の中にある「内なる国境」は簡単には消えないという現実です。
あからさまな「外国人お断り」といった差別は、法律やコンプライアンスで規制されていくでしょう。しかし、そこで頭をもたげてくるのが、まさにスーの言う「マイクロアグレッション」なのです。
支援現場で起こりうるリスク
ソーシャルワーカーが相談援助を行う場面を想像してみてください。 日本で働く外国人労働者や、その家族からの相談を受ける際、相談時に無意識にこんな態度を取ってはいないでしょうか。
・「日本のルールはこうだから」と、相手の文化的背景を無視して一方的に指導する。
・相手の言葉がたどたどしいだけで、知的能力も低いかのように扱ってしまう。
・「日本に来て偉いね」と、上から目線の称賛を送る。
これらはすべて、悪意のないマイクロアグレッションになり得ます。そして、この「小さな攻撃」は、援助者とクライエントの信頼関係(ラポール)を一瞬で破壊する威力を持っています。
異文化を持つ人々が増えるこれからの日本において、ソーシャルワーカーが自身のバイアス(偏見)に無自覚であることは、致命的なリスクとなります。「良かれと思ってやったこと」が、相手を傷つけ、支援を拒絶される原因になる。その恐ろしさを、出題者は「これから現場に出るあなたたちこそ、一番知っておかなければならない」と、警鐘を鳴らしたのではないでしょうか。
成長への橋渡し:問いかけられた「覚悟」
今回の出題は、単なる知識の確認を超えた、ある種の「イニシエーション(通過儀礼)」だったように感じます。
「君たちは、自分の無意識にある偏見と向き合う覚悟があるか?」「テキストにはない、正解のない問題に、現場でどう立ち向かうのか?」
もし、この問題をきっかけに「デラルド・ウィン・スーって誰だ?」「マイクロアグレッションって何だ?」と調べ、考え始めた受験生がいたとしたら、その瞬間、その人は「受験生」から「専門職」へと脱皮し始めています。物議を醸し、SNSで議論が巻き起こったこと自体が、実は日本のソーシャルワーク業界全体の「資質の向上」につながっていると考えられます。
受験勉強の間、私たちは「正解」を求めてテキストを読み込みました。しかし、明日からの現場に「正解」はありません。 目の前にいるクライエントは、テキストの事例とは違います。多様な背景、多様な価値観、そして誰にも言えない痛みを抱えています。
そうした人々に寄り添うために必要なのは、過去問の暗記ではなく、「自分は間違っているかもしれない」「自分の中にも差別心があるかもしれない」と常に自問自答し続ける、謙虚で省察的な姿勢です。
おわりに:さらなる高みへ
第38回国家試験の「あの1点」は、取れたか取れなかったかという合否の結果以上に、私たちの心に「棘」を残しました。 しかし、その棘こそが、私たちが慢心せず、学び続けるための原動力になるはずです。
スーの理論が出題されたということは、日本の社会福祉もまた、次のステージへと進もうとしている証拠です。多様性を認め合い、真の意味での共生社会を実現するためのキーパーソンとして、社会福祉士への期待は高まっています。
この「スーさん問題」を「奇問」「捨て問」として切り捨てるのではなく、「未来への招待状」として受け取ってみる。そうすることで、ソーシャルワークは、より深く、より優しいものへと進化していくのではないでしょうか。
今回の試験を戦い抜いた方々が、それぞれの現場で、この「見えない問い」に対する自分なりの答えを見つけ出し、活躍されることを心から願っています。そして私自身も、自分の中にあるマイクロアグレッションと向き合い続けたいと思います。
さあ、試験は終わりましたが、本当の勉強はここからです。