アダム・スミス 「国富論」と「道徳感情論」

 アダム・スミスと言うと社会科の授業で習った、「国富論」「見えざる手」を思い浮かぶ人が多いであろう。

 ただ、「国富論」の前に出版した「道徳感情論」を知る人は少ないだろう。

 「道徳感情論」は「国富論」の前提になる考えを説明したものだ。ここでは、人間の道徳的な判断や行動は理性でなく感情に基づいていると主張し、「共感」と「公平なる観察者」という概念を用いて人間がどのように道徳の一般規則を形成し、社会秩序を維持するかを説明している。

 また、「国富論」では人間の自利が市場の見えざる手によって社会全体の利益につながるという経済学的な理論を展開している。

 しかし、「国富論」で述べられている「自利」とは、自分の利益のみを計ろうとするような利己心ではない。それは、「道徳感情論」で説明されたような共感や公平なる観察者によって抑制された利己心でなのだ。

プロフェッショナルの条件 P・F・ドラッカー

どうすれば一流の仕事ができるのか?

この本は、知識社会において成果をあげるために必要なマインドセットやスキルを説いたものだ。ドラッカーはプロフェッショナルの条件として、以下の点を強調している。

①プロフェッショナルとは、知識を使って成果を上げる者であり、自らをマネジメントする者

②プロフェッショナルは、自分の強みや価値観を知り、それに基づいて仕事を選ぶ

③プロフェッショナルは、自分の時間をコントロールし、最も重要なことに集中する

④プロフェッショナルは、自分の仕事に責任を持ち、定期的に検証と反省を行う

⑤プロフェッショナルは、自分の仕事が社会にどのように貢献するかを考え、そのために必要な変化や学習を求める

⑥プロフェッショナルは、自分の仕事に情熱を持ち、自己開発やキャリアの構築を目指す

⑦プロフェッショナルは、正しい価値観をもって意思決定を行い、その結果に対して勇気を持って責任を負う

ここにドラッカーの真髄が詰まっていると言って過言ではないだろう。

 

中範囲の理論 逸脱者 ~罪を憎んで人を憎まず~

 

 

 中範囲の理論とは、社会学者のロバート・K・マートンによって提唱された。これは、抽象的すぎる大理論と具体的すぎる実践理論の間に位置する、実証研究と理論とを統合することを目的とした理論だ。

 中範囲の理論の中に逸脱研究がある。マートンは、逸脱者とは、社会的規範や期待に反する行動や役割をとる人のことであり、社会的目標と手段の関係によって、適応者、達成者、退化者、反抗者、逃避者の五つの類型に分類できると主張し、逸脱の原因を個人の責任とはせずに社会の不均衡、問題であるとした。

 フィラデルフィアのスラム街で育ったマートンらしい経験則であり、罪を憎んで人を憎まずといったような人への寛容さと社会の矛盾を指摘したものだ。

 今現在においても不正等の問題が取り沙汰されているが、これらを不正を行った人たちだけの問題とせず、社会や組織の問題として皆で考えていくことが必要ではないだろうか。

「自営型」という働き方とは

 

国内の企業では、日本的なメンバーシップ型からジョブ型への変革が叫ばれ続けている。

しかし、世界を見渡すとジョブ型とは違った働き方をする人が増加しているという。これを自営型と呼称する。

自営型とは、雇用かフリーランスかにかかわらず、自営業のように一人でまとまった仕事をこなす働き方だ。この働き方は、生産性向上と人材不足対策の切り札になり得るという。

そして、日本ではジョブ型よりも自営型が適している。なぜなら、日本的経営の弱みと言われる共同体システムが、自営型では有機的連携や異質性に基づくチームワークを生み出すからだ。

ただし、自営型で働くには、組織や教育のあり方も変化する必要がある。組織はインフラ化し、個人の専門性や自律性を高める。また、教育は課題学習を増やし、人間力や対人能力を鍛え、教育機関は学ぶためのインフラとなる変革が必要なのだ。